ことりと住まう
いま、パソコンに向かうわたしの両の肩に小鳥が2羽、まるくなっている。
眠いのなら、おうちに帰りなよ。
そう言っても、くっついて離れない。
小鳥たちには「明日」がない。
「今、この瞬間」の連続だけなのだ。
小鳥と暮らしたい。
そんな思いがふわりと浮かんでは消え、何度も諦めがついたフリをした。
必ず思い浮かべてしまう、別れのとき。
小鳥の1年は、わたしの時間にして10年。
いつか必ずわたしの年齢を追い越すときが来る。
生まれたての雛を迎え入れると同時に、別れのときを覚悟しなければならない。
愛おしいと思う気持ちと同じだけの、かなしみを育んでいくのだ。
2015年春、わたしは可愛らしい文鳥の雛と、かなしみの種を迎え入れた。
小鳥の朝は早い。
太陽がのぼり、外界の鳥たちが鳴き始めると小鳥たちの「今」が動き始める。
まだ弱い太陽の光の中で嬉しそうに鳴きながら飛び回る小鳥たちを見て、なぜこんなにも朝が来ることに歓喜するのか分からなかった。
毎朝、その様子を寝ぼけ眼で見つめていて気がついた。
あぁ、「一期一会」だ。
二度とは巡って来ない、ただ一度きりの朝なのだ。
小鳥と住まうことで、茶道のことば「一期一会」を体感していくことになるとは思ってもいなかった。
私の日々は少しだけ変化した。
このKiriToriSenもそのひとつ。
たいせつなことを教えてくれた小鳥たちも、ここに登場してもらうことにした。
Kiri Tori Sen(キリトリセン)のKiri Tori San(キリトリさん)
日々是好日。
ここでは自分のものさしを捨て、小鳥たちの日々をお伝えしていきたい。