平和を創り出すための工場

 

 

2016年5月27日、現職の米国大統領として初めて、バラク・オバマ大統領が広島を訪れた。

あらゆる人たちの気持ちに配慮した素晴らしいスピーチだった。(全文

 

 

被爆者代表として出席していた広島県原水爆被害者団体協議会 理事長の坪井 直さんや、

広島で被爆死した米兵捕虜の調査を長年続けられてきた森 重昭さんと固く握手し、

抱擁する瞬間を目の当たりにして、戦後71年という時が経ち、いよいよ新しい時代に

入ったのだと思った。

とりわけ森 重昭さんの活動についてはあまり知られていないが、12人の米国軍捕虜の

調査を行い遺族を探し当て身元を特定し、広島原爆死没者追悼平和記念館にその氏名と

遺影を登録した。

インターネットがない時代の活動である。

 

オバマ大統領が森さんと談笑し、そっと抱き寄せた瞬間、なにかがほぐれた気がした。

それと同時に、次の世代へバトンが託されたようにも思った。

 

 

1945年8月6日、8時15分 広島の空に閃光が走った。

一瞬で広島の街は焼失し、その年の暮れまでに約14万人が亡くなったと推計されている。

被爆者たちが「地獄絵図のようだった」という、今の私たちには想像もつかない広島の街で

いち早く復興へ動き出したのが、市内を走る路面電車だった。

被爆のわずか3日後に走り始め、戦地へ赴いている男性運転士の代わりに女性達がなんとか

動かしていたという。

中心部は廃墟と化していたが、動き始めた路面電車の姿は市民に力を与えた。

その後、広島が日常を取り戻すまでには長い長い時間を要するのだが、復興の計画は即座に

進められ、1946年6月の復興審議会では、爆心地の中島地区を戦災記念公園として整備する計画が

確定しつつあった。

1955年8月6日に開館した、建築家  丹下健三設計の「広島平和記念資料館」

 

愛媛県今治で幼少期を過ごした丹下健三は旧制広島高校(現  広島大学)に進学し、この地で

建築家を志した。

原爆が広島に落とされた日、丹下健三は父親危篤の知らせを受け、帰郷の途にあり広島の尾道

にいた。今治に到着したときには父親は既に亡くなっており、原爆投下と同日の今治空襲によって

母親も亡くしていた。

丹下健三にとっての8月6日も特別な日となった。

広島の戦災記念公園の計画が持ち上がった1946年6月には広島入りし、焼け野原にまだ血生臭さ

が残るなか、バラック小屋を建てて都市計画業務を行った。

残留放射能の危険性が心配されるなか自ら現地入りを志願し、1949年の8月6日コンペで1等入選し

丹下健三の設計で広島平和記念資料館が建設されることとなった。

正面ピロティの間から広島平和都市記念碑、その向こう側に見える原爆ドーム。

市街地を十字に貫く都市は、この平和公園を起点として作られていった。

「平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。

平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである。

この広島の平和を記念するための施設も、与えられた平和を観念的に記念するためのものではなく、

平和を創り出すという建設的な意味をもつものでなければならない。

わたし達はこれについて、まずはじめに、いま、建設しようとする施設は、平和を創り出すための

工場でありたいと考えた。

その「実践的な機能」を持った工場が、原爆の地と結びつくことによって、平和を記念する「精神的

な象徴」の意味を帯びてくることは極く自然のことであろう。

この二つの調和が計画にあたっての目標であった。

 

丹下健三は「建築雑誌(新建築)」1949年10月号において、このように述べている。

 

 

 

今年9月、平和公園のすぐ側に広島の新たなラウンドマークがオープンする。

建築家  三分一博志(さんぶいち ひろし)設計の「おりづるタワー」だ。

原爆ドームの東隣に位置し、13階の屋上展望台から遠くは宮島まで見渡すことができる。

 

通り抜ける爽やかな風。

遠くに聞こえる人々の声。

真下を通る路面電車の音。

太陽を反射して輝く川の水面。

もう広島に草木は生えないだろう。

そんなふうにいわれた街が、どのようにして復興していったのかを静かに想像する時間を

持てる場所だった。

戦後71年が経ち、これからも広島が「平和を創り出す工場」として機能していくためには

このような一人一人が何かを感じ、時間をかけて考える場所が必要であったのだと思う。

北側に目を向けると基町アパートや広島城、体育館や図書館、市民プール、プラネタリウム

が見える。平和の象徴であった広島カープの本拠地・広島市民球場は移転してもうここに

姿はない。

これからこの街がどんなふうに変化していくのか、またここに来て眺めたいと思った。

 

12階には約50mのガラス張りの壁面に専用の折り紙で折った鶴を落とし積み上げていく

「おりづるの壁」が設けられた。

およそ100万羽で壁一面が埋まるという。

壁面は路面電車の通る大通りに面しており、おりづるの壁の進行状況を外からも見ることが

できる。

おりづるタワーの入場料は、1,700円。

おりづるの壁専用の折り紙は別途500円必要。(プレオープン時)

少し高い印象だが、今の広島の風景に見慣れている地元の人こそ一度訪れてほしい。

 

最後に。

 

オバマ大統領が自ら折ったという折り鶴。

この二羽の折り鶴は、資料館で出迎えた2人の小中学生に大統領から手渡された。

また「私たちは戦争の激しい苦しみを体験してきた。ともに平和を広め、核兵器なき世界

を追求する勇気を持ちたい」と芳名録に記し、その上に別の2羽の折り鶴を添えたという。

 

この折り鶴と芳名録は平和記念資料館にて8月31日まで公開。

是非、夏の間に一度訪れてもらいたい。